なぜ風船を買ってあげたのか?

先日、こごろう1号の開校記念日で小学校が休みでした。「これ幸い!」ということで、千葉は幕張にあるディ○ニーランドへド平日に行ってきました。こんなときじゃないと、子ども3人連れて夢の国へなんて行けません。なにせ休日、混雑がすごいらしいじゃないですか。

どっかの記事で読んだのですが週末ともなると、アトラクションはもちろん、レストランも大混雑。何をするのも人人人の波で・・・夢の世界の店員さんもテンパっちゃって、お客さんをさばくので精一杯で、ホスピタリティを発揮するどころじゃない。なにをしようにもどこに行こうにも待たされるお客さんもイライラしていて、怒号も飛び交っているそうで・・・。そんな激混みの時に行ったことはないので、真意のほどは定かでないですが、夢の国まで行ってイライラしたくなんかないですよね。

我々が行ったのはド平日ということもあり、かなり空いていましたが、やはり人気アトラクションは1時間待ちのところが多かったです。ただ、空いているものは5分、10分で乗れるのも数多くあり十分楽しめました。

で、次の日は学校や幼稚園、仕事があるので、夜のパレードもそこそこに「さて帰ろう」となったのですが、ここで2号が

「風船がほしい」

と言い出しました。

 

風船を欲しがった2号

風船を欲しがった2号[/caption]

 

風船・・・ヘリウムが詰め込まれたキャラクターの形をした「ただの袋」ですよ。いつまでも残るものではなく、一週間もすればしぼんでしまうシロモノです。それが夢の国価格で一つ1,000円!なんともアコギな商売です。少し前なら

「そんなすぐなくなっちゃうものにもったいないよ。それで遊べるものでもないんだし」

と、「それを使って何をするのか。」と、大人ならではの合理的な考えで一蹴していたと思います。ですが色々思う所あり今回は、

買ってあげました。

確かにそれを使って家で遊ぶことはできません。フワフワと室内を漂い続けるだけで、場所によっては邪魔な存在にしかならないかもしれません。だけど、

「思い出を補強するアイテム」

にはなりえると思ったのです。楽しかった思い出は、翌日になるとどんどん薄れていきます。しかしその風船が

「ただそこにあり続けるだけ」

で、それを目にする度、楽しかった思いや感動、衝撃、ワクワク感が蘇り、その思いがより一層強化されると思ったのです。これは形として残るものではあまり効果がないでしょう。

「いずれなくなってしまうもの」

だからこそ、人の心にも強く印象が刻み込まれるのです。昔付き合った彼氏・彼女のことが美化(*そうじゃない人も当然いるとして)されるのは、今そこにいないからです。同じようにいずれは目の前からなくなってしまうものだからこそ、思い出が強くインプットされるのです。

 

だいぶしぼんできました

だいぶしぼんできました[/caption]

 

1号に買ってあげないわけにはいかないので、しめて2,000円の出費。だけど、家族との楽しい思い出が子供らに少しでも残ると思えば、無駄でもないですね。楽しかった思い出が薄れていくのに併せてしぼんでいく風船、思い出とゆるくリンクされるそんな存在だからこそ、良いのかもしれません。

・・・というような視点で考えてみると、女性に渡す花束は最初に渡すのではなく、楽しいひとときを過ごした帰り際に渡すのがベストなんでしょうね。それも大げさなものでなくても、一輪だけとかでも良いのかもしれません。

女性がその時を一緒に楽しんでくれていたら、渡した男性の存在は、花が咲き続けている限り良い思い出として記憶に残るのですから。

・・・もし楽しんでくれていなかったら?

  • 家に帰るなり捨てられる
  • とりあえず花瓶にはいけるが、咲き続けている限り、「あ~~、つまらない人だったわ」との思い出が補強される

渡した男性としてはどっちがいいでしょうね?個人的には、どんなにその場がつまらなかったとしても、もらった花をすぐに捨ててしまうような感性の女性とはお付き合いしたくありませんね。ボクのことはどうでもいいですね(笑)失礼しました。

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