父親として子どもたちに「こう呼ばれたい!」という希望があるなら

 

息子が父親を「パパ」と呼ぶのは期間限定

こごろう’sには父親(私のこと)を「とーちゃん」と呼んで欲しいと願い、1号が物心ついたときから自分のことを

「とーちゃんはな」

「とーちゃんはね」

と言い続けてきました。

2号3号に至っては、産まれた時から、私は自分のことを

「パパ」

と言ったことはありません。

息子が父親のことを「パパ」と呼ぶ期間は限定的で、いずれは「親父」か「お父さん」に代わっていくものだと思ってます。かくいう私も、(覚えていないのですが)ある日突然、両親に宣言したことがあるそうです。

「明日から『パパ』『ママ』とは呼ばず、『お父さん』『お母さん』と呼ぶよ」

と。

なぜとーちゃんと呼んで欲しいのか?

子どもらが父親のことを「パパ~」と呼びながら駆け寄っていくシーンがほっこりする理由の8割は

「パパ」

という破裂音の存在がそうさせている理由です。「パパ」と呼ぶ子どもと呼ばれる父親との間には、なんともいえない可愛らしさとほっこり感を感じます。そう呼ばれ、幸福感を感じるのは捨てがたく、魅力的です。

だけど、娘ならまだしも、息子が声変りをする中学・高校になってまで、自分の父親を「パパ」と呼ぶ人は少ないです。

いや、いるのかもしれませんが、私の人生ではいませんでしたし、仮に高校の同級生が自分の父親を「パパ」って言っているのを聞いたら、きっと親しみを込めておちょくると思うんですよ。

そしてどこかの段階で、

パパ → 親父、お父さん

になっていくのです、私のように。

それを寂しいと感じてしまったんですよ、私は。できれば小さい時からの呼ばれ方でずっと呼ばれ続けたい、というのが私の願いです。

じゃあ、最初から「親父」「お父さん」と呼ばれたらいいのじゃないかとおもうかもしれませんが、なんかかわいくないですよね、この呼び方。でも、

「とーちゃん」

だったら、「パパ」ほど幼くなく、「親父・お父さん」ほど大人びず、ちょうどよい中間点です。この呼ばれ方なら、生涯、呼び続けてくれるのではないかと、思ったのです。

ですから、「とーちゃん」と呼ばせるべく、私なりに英才教育を施したつもりではありますが・・・揃いもそろって「パパ」としか呼びません。

なぜパパと呼ばないか?

ここまで整理しながら書いてきましたが、冷静になって考えるとその理由は明白です。

「母親が『パパ』と呼ぶから」

です。

私の妻は、私のことを結婚前から呼んでいたあだ名で呼んでいますが、対子どもにはそう呼びません。

「パパに頼んでみて」

「パパと行って」

「パパとお風呂に入って」

というように。

やはり母親の存在は、子どもたちにとっては偉大で、どんなに父親との仲が良かったとしても、母親との間に割って入ることは逆立ちしたってできません。

母親が父親のことを悪く言うと、子どもたちも真似をして悪く言いますし、尊敬していないと、こどもも父親を軽んじます。それだけ母親が子どもに語りかえる言葉は絶対的で、半端ない影響力を持っています。

例えば私が辛い麻婆豆腐を食べて帰って来た日の翌日、トイレに籠っていると、妻は

「そんなになるなら食べなきゃいいのに」

と、言い続けていますが、最近は子どもらも

「パパ~、食べない方がいいよ」

と、便乗してきます(笑)

「とーちゃん」と呼んでもらうためには?

というわけで、いくら父親ががんばって、自分のことを「とーちゃん」「父上」「お父様」と子どもたちに語り掛けたとしても、その行為にあまり意味はなく、母親の言いかたを追従します。

従って、父親として子どもたちにこう呼ばれたい!という希望があるなら、

「子どもの前ではこう呼んでね」

と奥さんの協力が不可欠となります。案外、ハードルが高いと思うのですが、いかがでしょう?

まとめ

そうした妻へのコンセンサスを取っていなかったため、誰もそう呼ばないのに、一人だけ自分のことを

「とーちゃん」

と呼び続けている自分がいます。

そのバカバカしさにある日ふと気づいたので、子どもらに確認したことがあります。

ワタクシ

キミたちに『とーちゃん』と呼んで欲しいから、ずっととーちゃんは自分のことを『とーちゃん』と呼び続けてきたけど、誰も呼んでくれないからもうやめて『パパ』にしようと思うのだけど、どうだろう?

ムスコ

え~~、ヤダ。だってパパは『とーちゃん』だよ

だってさ。

よくわからない理屈ですが、なんとなく納得できる部分も。

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